2024.01.07 Sunday
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その愛想笑いやめろサンピリ演出の元一のブログです。
適当に書いています。 2024.01.07 Sunday
何もできなくなっていく
このブログが生きてるか分からないけど 今日のおみくじは末吉と出て、ようは家のことを大事にしろということだった。 確かに、演劇に触れたい気持ちもあるけど、ただでさえ半人前なのだからどれもこれもというわけにはいかない。 僕の代わりにかみさんも舞台に立つのだから、そういうところはチームでやっていくことでバランスをとりたい 僕は半人前だし、家には一人増えたんだ。 両手全力で支えてやっとのところを、何を調子に乗ってやろうというのだろう。 自分を律しなければ。 久々にFacebookを見たりもした。 案の定未だにやっている人は少なかったから、何か他と比較してダメージ受けるなんてことはなかった。 てなこともなかったが、 やりたいようにやって早いうちに家族を持ってる人 家族なんて持たなくてもやりたいことやって幸せな人 芸の道で頑張ってる人 みんな遠かった。寂しい気がしないでもなかったが 結局どのひとも仲がいいわけじゃない。 たまたま知り合って繋がった、それだけだ。 近くにいると、もしくはSNSで繋がるとずっと息苦しい。 比べることは大嫌いなのに、周りを見回してしまう。 だから、遠くていいんだ。遠くに距離をとった。 俺は、今のおれがやりたいことをやりたい。 家族を一番に考えたい。 これからは家族のために生きていきたいし、 いつでも、いざというときでも動けるようにしたい。 そのほかに何も望めない、 一人が叶えられることは本当に少ない。 叶ったことを大事にしたいんだ。 そのために苦手なことや、やったことないことをしなくちゃ。 そのためにエネルギーと余裕をためておかなくちゃ。 やんなきゃならないことは少なくして、大いに僕もゆっくりしなくちゃ。 演劇も遠い。 演劇はもう一生しない気がする。
| - | 00:43 | comments(0) | - |
2021.03.29 Monday
サンピリ「葵上」演出ノート きゅう
修羅の稽古と小屋入り後 六条については、ザ・呪いの女みたいにはしたくなかったので「日本人形」というオーダーをしていた。可愛らしいけれど、見つめているとどこか不気味というイメージ。こぺしさんの魅力が一番絶妙に出る予感がしたし、妬み・恨みの化身というよりは純粋に恋をした六条にスポットを当てたかった。めちゃくちゃ切ない話なんだよっていう側面。 結果、唯一無二の六条になったと思う。台詞ぶっ飛んだときは窓からぶっ飛びたいくらい悔しかったけど、それはやっぱりこぺしさんの完全な六条をしっかり余すところなく観ていたかった傲慢な気持ちが招いた落とし穴だったな。いつもならどんな芝居でもどこか楽しんでいたのにムキになってしまった。そのくらいよかったんだよ最高に。 また、今回は音照ゼロ縛りだったのでヨットのシーンでは一切舞台上が何も変わらない。したがって、催眠術のまじないを使って光を六条の世界に引きずり込むという演出を選択した。観客の中でどれほど説得力があったのかはわからないが、最後に光を引き留めるシーンにも生かせたので効果的ではあった気がする。 難題は看護婦だった。 解釈としては霊を読んで物の怪の正体を暴く照日の巫女あたりではないかという感じだが、如何せん後半の詩的な台詞が難解でどうにも落ち着かない。 小屋入り一週間前に舞台上をかき回すミュージカルにして、六条の登場を立てる形にしてひとまず形にはなったが。でも、果たしてここでやめてしまっていいのかモンモンとしていた。どうも松尾佳美の演出から逃げている気がする。 そこで、ミュージカルの歌のイメージをベースに繊細に言葉を探っていく演出にした。歌う所と台詞で紡ぐバランスをその場でスイッチして調合していくという演出。残念ながら言葉が文字にまで分解されてしまって別物になってしまった回があって窓からぶっ飛びたくなったが、千秋楽に何とか完成した。 つまり、今回は看護婦がミュージカルをしていた回と歌と言葉の調合になった回があった。これに関してはお客さんに申し訳ない気持ちもあるけれど、サンピリでは別に完成した作品がすべてという主旨でやってないのでしょうがない。俺もほんとは悔しいけど。 ということで、千秋楽はグンバツなものになった。最後まで諦めなかったよっぴー、ありがとう。無茶振りしてごめんね。 葵。 葵は最後に立ち上がって階段落ちになるという段取りだったが、そもそもは、電話から六条の声がして絶命するというのがオリジナルの流れだ。電話を通して、あるいは呪いによる病によって六条康子が葵を掌握して、まるでコオロギに寄生して水辺に誘導させて殺すハリガネムシのように階段に向かっていく。 実はこれも最終日は少しだけ演技が変わった。オリジナルにはない反則技の演出だったので長くはしたくなかったが、渡利さんの提案も面白かったので採用した。一番怖いのが実は葵っていう葵上も少ない気がする。 光は女性陣に囲まれひたすら受けだったが、椎木さんが上手いことやってくれたと思う。何だかんだ、座組にいると力になってくれる役者は宝だなと思う。 ふたを開ければ物足りない役回りかなと心配したけれど、ある程度楽しんでもらえて何より。ほんと、おめでとうございます。 いやー、久々に怖くて怖くて仕方がない公演でした。全ては、どうしても絶対成功させたいという思いと、それに伴う演出の技術のギャップが招いた焦りがそうさせたんだと思う。 長年苦しめられていた呪いから俺も解放された。演出プランで作品なんか決まんないよ。 ご来場ありがとうございました。 「シン・葵上」でお会いしましょう。
| - | 22:07 | comments(0) | - |
2021.03.29 Monday
サンピリ「葵上」演出ノート 破
何故この時代に葵上をやるのか。 コロナでもんもんと色んなものを溜め込んでいる世間と六条康子が重なってるなと思ったとき、少ししっくり来た。 今は理性の世の中だ。同時に、そこから溢れ出てくる得体の知れないものを誰しもが感じている。何かそんなものが体からはなれて足音を軋ませながら階段をあがってきたら僕らはどうなるだろうという興味でつくっていくことにした。 それに乗じてマスクを使うことにした。コロナ禍だからマスクって安易やなとも思ったけど、僕は正直この時代の「マスクをつけていない作品」に逆に違和感を感じていて、例えば実際に六条がマスクをつけないで出てきたときの違和感で素顔をさらすこと自体が奇妙になってきている感覚に着目したかった。 また、マスクを外す、という行為が今人間の何をくすぐるのかにも興味がある。素顔が現れる瞬間、何かをさらすことにもなるし、想像とは違う顔に驚くこともあるかもしれない。今回は光のマスクは六条によって剥がされ、葵のマスクが外れれば六条が宿っているという仕組みにはしておいた。 「コロナといえば咳だよね」という、これまた安易なエッセンスも作品の不気味さを際立たせることに少しは寄与したかな。音がしない電話(音照をゼロにするためと、そこの2人にしか聞こえていない不気味さの演出)を取った後に咳。看護婦が六条の車に気付く直前に咳。苦しみ全般に咳。やってみると、別段これコロナやんとまではならなくてある程度納得感もあってよかった。 コロナ関係でいえば、舞台が病院であり、医療関係者の看護婦が出てくるというところも接点があった。病院側に抑圧・コントロールされている看護婦はまさにこれだと思えばまた違った見方ができる。性的なことを管理されている劇中の関係性も、現実に起こっている病院と看護師のこれまでにないゼロ距離と重なる。 話し変わって、今回は古い時代の病院に現代の光と葵が迷い込むという設定で組んだ。光は商用の旅だが、スーツではないしバッグは現代的。タバコは出てこずコーヒー。葵もGUのパジャマ。反対に、舞台は日本家屋の病院だし看護婦は古いデザインのユニフォーム、六条も着物で来る。迷い込んでしまった不気味さも狙いたかったけど、光が過去と対峙する隠喩でもあった。
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