その愛想笑いやめろ

サンピリ演出の元一のブログです。
適当に書いています。
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サンピリの「変身」WEBパンフレット4(演出プラン)
墨をぶちまけたような黒い世界。
そこに紙が何層にも渡って埋め尽くされたような、地面から少しせり上がった島がある。
紙人間が数名、その島に流され佇んでいる。

そこに女がやってくる。

女は島の上をうろつく。あたりを見渡して遠くや近くを確かめている。
見つめていく度に空間は少しずつ自分を取り戻していく。
息を吹き返して白い壁は現れ、足跡にこだまして嬉しそうにフローリングが広がっていく。

そこは部屋だ。
女、床に転がっている紙人間を指差して。「これは炊飯ジャーです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○オープニング

何もないところ、白紙であるところから物語が立ち上がる感覚が欲しかった。
誰もいない、暗い部屋、女が動くことで部屋が生き返っていく感覚。
家電が動くことによる生活音、そして徐々に騒々しく明るくなっていく部屋。

「これは炊飯ジャーです」と指し示すのは、思い出のある物だから。
家にあるもの全て、妹がお金を溜めて兄の為に買ってあげたものだから。
部屋が愛に溢れている、ということ。

○妹「雫」と兄「タケル」

タケルが突如その部屋に入るとあかりは影を帯びたものになる。
光を飲み込む闇。だからこそ光を当てたくなる母性というか。

タケルもまた、「おかえり」という言葉で兄として舞台上に立ち上がる。

兄妹の会話は基本的に噛み合わない。
そういうものだと思うし、日常会話のほとんどが目を合わさないと思うから。
妹が終始オーバーに体を動かしおかしな言動をとるのは、性格というよりは演出.
かまってほしい、愛してほしいと訴え続ける奉仕や報われない愛を誇張している。

○母

母という存在はこの物語では特に重要視されていない。
強いて言えば、親子の間と兄妹の間の関係性や空間は相反するものだと示したかった。
なので劇中では二人とも一方的に会話を切っているし、
都合良く差し入れや励ましの言葉だけ受け取って利用している。

○旧友

パソコンから不意に侵入してくる旧友。
成功している同級生や楽しげに過ごす姿がタケルを襲う。タケルの目の前で華麗に舞う。

タケルは設定上、美術を学校では教わっていない。経営系の大学を中退して独学で絵を描いている。
もちろん、そのまま卒業して就職した自分も存在していたかもしれないし、
もっと計画的に生きていれば何かしら仕事に繋がったかもしれない。

家電が旧友へと変身するのは、外部からのストレスというより内部の脆弱性を描きたかったからだ。
己を貶めるのはいつだって己自身。
「ゴール!」の叫びと共に都合の悪いことを投げて逃げていたタケルも、自分自身の弱さだけは追い出せない。

このシーンのダンスイメージはファイトクラブ!

○佐伯

松田が演じる佐伯という友人も、タケルの中では成功した人間の一人だ。
起業家養成サークルで知り合った二人は意気投合して馴れ合いとは別の親友となった。
だが、タケルは絵を描くと決め中退し二人の夢は佐伯が叶えていくことになる。

佐伯が立ち上げたのはアートリンクというNPOで病気の人とアーティストを繋ぐ事業を行っている。

佐伯が距離を開けてタケルの回りを歩くのは、現在の二人の距離感であり、
佐伯がタケルを気にかけて話しているという貧乏ゆすりのようなものだ。
軽い苛立ちや、この時間があれば他のことをしていたいという側面もあると思う。
既に二人の関係も馴れ合いと化していた。

○誰かが僕の噂話をしている

一人きりになると再び現れるもの。

炊飯ジャーや洗濯器の音ゴトキで集中力が削がれるのは、志や能力の脆さ、
比喩的に日常生活や生活を支える労働によってやりたいことがやりたいようにできないフラストレーション。

やがてcampsの楽曲が流れ、家具は踊り出す。すべてが自分を蔑んでいるように思えてくる。
音楽は鳴り止まない。
暴れても叫んでも人生は続く。
音楽は鳴り止まない。
音楽は鳴り止まない。
音楽は鳴り止まない。

○病院

タケルが孤独に耐えかねて部屋を飛び出してしばらくすると、舞台上にもうひとつの存在が立ち上がる。
「炊飯ジャー」とも「おかえり」とも何一つ呼ばれていないそれは望まれていない存在。

僕は、人の不幸というものはどこかの誰かの憂鬱や憎しみが流れ流れてくるものだという、
そういう超現実的な可能性を否定していない。
誰かの負のエネルギーが全然関係のない別の誰かに寄生するような、そんな現象。

イシャとして立ち上がったソレはカンジャを探す。
名前を呼ぶことで人は支配できる。数値を測ることで人を従順にさせる。

○茜

茜は持病のネフローゼで小さい頃から入退院を繰り返してきた。
幾度となく繰り返される再発に翻弄されまいと、無感動、無関心で過ごす日々。

首の鎖は、切ろうと思えばいつでも彼女自身で切れる紐である。
だが、それは生命線であると同時に、それを切れば父親との信頼関係や
今まで投資されてきた時間・金も水の泡にきえてしまう。だから切れない。

決して不自由な訳じゃない。病気を患っていても可能性なんて無限大だ。
でも、その可能性を楽しめる人間がすべてってわけじゃない。
何かにとらわれてしまう人間も少なからずいるはずだ。チープななんちゃってSMが滑稽できつい。

○父親

茜の父はそんな茜を見守る存在である。
見守るだけ。ただ、それが親の役割なんだと思う。会話はいらない。

○ネットオークション

舞台はタケルの部屋に戻り、ここでタケルはネットオークションで絵を売ることを思い付き、すぐさまそれを成功させる。
ネットオークションについては特に詳しく語られることはない。

最後にタケルが知ることになるが、それは、妹・雫がすべて仕組んだことである。
以降、雫はバイトを増やしてタケルの絵を密かに買い取り続けていくことになる。

音楽には炭坑節を使った。極めて嘘くさい。必衰無常の歌。
身内だけにしか力を及ぼせない、虚しい表現者の歌。

○出会い

浮かれているタケルは、友人・佐伯のNPOを通し病気のモデルとして茜に出会う。
鬱々とした風貌の茜に、わかりやすくテンションの下がるタケル。
そして絵を褒められるとわかりやすくテンションの上がるタケル。

やがて、高橋優の曲が流れて二人は手を合わせて踊りだす。
愛ではなく、「出会い」のダンス。
会うべくして会ったのだと、そういう出会いを信じてしまうような高揚感。
「大切なものはひとつだけ 愛する人がいればいい、それだけ」
the camps以外の楽曲は、J-POPで統一してある。
滑稽で、嘘くさい。
でも、それを聞いている瞬間は、運命だと信じている瞬間は心地いい。
そんな現実離れした現実はやっぱりある。

○オカマ

一方、妹・雫が働いているのはオカマバーだ。
他にもバイトを掛け持ちしているが、それらは全てママの紹介。
オカマに対して特に思い入れがあるわけではなかった。
家電と話す、というシーンになる予定でもあった。

ただ、タケルの知らない世界に飛ばしたかったということと、
雫を受け入れてくれる世界が欲しかった。

○色々

その後、雫と茜は会うことなく、タケルを取り合う。
二人とも旅行に行こうと誘い、タケルは茜を取る。

○連呼

「お兄ちゃん」というセリフを20回言うシーン。
「茜さーん、磐田茜さーん」とイシャが呼ぶところもそうだけど、
人の名前を口に出すということはそれだけで演劇的だ。
20回言っている間に、20日間が経過する。
一日一日の雫が一言名前を呼ぶ度に殺されていく。
愛の対義語は何か。

オカマのママがこのあと、慰め程度に
「男が男に恋する辛さをあんなに教えてあげたじゃない、実らないの!」とか言う。
物語がオカマのママを語っていないのと同様に、
他人がどんな人生をおくってきたのかを知らずにその言葉が自分を動かすことはない。
他人は他人だ。

さて、雫の兄に対しての気持ちとは、果たして恋か。
何なんだろう。

決意とともに、再び嘘くさいEZ DO DANCEが流れる。
なんで人間はこんなに、滑稽なほどに、人を想う心を持つんだろう。

○ピロートーク

いちゃいちゃする。
音楽はthe campsのウィズアウト・ラブ。高橋優と同様、別れを予感させる歌だ。
月が何回も回り、車の明かりが何回も部屋を横切る。
映像の画角も、カーテンから漏れる光を想起させて美しい。

○修羅場

雫と茜がはじめて出会う。
茜においては別段雫に対して何の関心も抱いていないが、
タケルが絵で稼いだお金で買った新しい電化製品が雫の逆鱗に触れる。
他の人に渡ってしまうとはそういうことだ。

結局駆けつけたタケルは雫を追い出し、2人は再び出会いの奇跡に酔いしれる。

この芝居、実は展開も糞もない。はじめから登場人物のスタンスは対して変わらない。
最初、茜とタケルが手を合わせていた「出会い」のダンス中も、雫はタケルを呼んでいた。
ここではそれを可視化しただけだ。

何かに没頭すると、人は見えなくなる。
ただでさえ没頭していなくても見えてこないこの世界。
そして、それは愛する人が抱える過去や現実、未来に関しても同じことだ。

「揺れる想い」嘘くさいJPOP


○透析

父親が出てきて、医者に透析の指示を伝えられる。
透析とは、おしっこがつくれなくなった、弱くなった腎臓の代わりに機械を通して血液を綺麗にしたり栄養を与える医療行為のことだ。

タケルとの生活を経て不摂生を繰り返した茜が腎不全になったような流れだが、
設定としてはタケルに会おうが会うまいが透析や移植は避けられない運命が茜を待っていた。
この病気に関しては一事が万事そうとは言い切れないが、死ぬまで自分の腎臓で生きていける腎疾患患者は多くはないと思っている。今の僕は。

○別れ

最後、茜の透析を理由に、タケルは茜を手放す。
売れない芸術家が出会ったばかりの障害者となった病人と一緒に生きていけるはずがない。
タケルはだらしがない。ラストはがっかりした、という意見がアンケートで多かった。
でも、現実だ。
タケルがどのような具体的な努力をもって茜と生きようとしたのかは描かれていない。
でも、それは小さなことだ。
現実は、結果が全てだ。

流れていた曲は「バッドエンドはまっぴらだ」the camps

ようやく病気に対しての恐怖心や自分の弱さを打ち明ける茜。
しかし、それはタケルにとっては重荷でしかなかった。
茜を愛する気持ちや出会い、二人のこれからを必死で考えれば考えるほど、
彼の筆は震えていく。描けなくなっていく。
バッドエンドが怖くて、タケルは逃げた。

茜の首に鎖が戻り、光の当たらない闇へと消えていく。

それを父親であり、佐伯である人物がただ、見ている。
やがて、一人、また一人去っていく。友人が。そして自分をよく思わない人が。

○エンディング

家族に対しての2本の電話。

再び描き始めるタケル。
何事もなかったかのように、部屋が元通りになっていく。
彼はあの透明なキャンバスに何を描いているんだろう。
白紙の紙が今日も部屋中を埋め尽くしている。

茜はいない。



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| サンピリさんの毎日エッセイ | 2013/03/28 2:25 AM |