その愛想笑いやめろ

サンピリ演出の元一のブログです。
適当に書いています。
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青☆春アンバサダー「かち割ってしまえよ」
※出演者の二人は、僕が演出した作品に出演したことのある身内。

僕は傑作をつくりたいと思って演出を始めたけど、
もう僕がつくってみたい傑作が目の前に出てきてしまった。
凄く悔しいけど、これほどないまでに良かった。傑作だった。

僕は当事者性を感じられる作品が好きだけど、この舞台に立っている演じ手はまさに当事者。
血が通っていて呼吸もしている人間であり、当人であり、当人たちの物語。
こんな化け物みたいな作品に世の中のあらゆるフィクションは無力だと感じる。

この作品がダンス作品として認められることは果たしてあるのかどうか疑問に思うけど、
他に並んでいる作品より圧倒的だったことは事実だと思う。少なくとも俺はそう思った。
彼らは多分、ダンスがやりたいんだ。
でも、この二人がやり切ったことはなんかこう、すべてというか。すべてを越えて、というか。

一人の男と一人の女を扱う作品は数あれど、やはりどうしても概念的なものや普遍的なものが付き纏って作品の主張も広がり切ってしまうように感じる。
愛というものは本来、それだけいくらでも演出や美学が入り込む余地があって、表現者は無意識に不用意にそれを持て余しがちだ。

だけど、この作品はそういった無駄な脚色を寄せ付けず頑なに拒否して、純度高く当人と当人同士の圧縮された「人生の一瞬」であり続けた。
それは彼ら二人が自分自身や相手を見つめ続けた成果であり、それを作品として昇華させたセンスのたまものだと思う。

作品にあまり触れたくはないけれど、構成と演出、身体はバツグンだった。
途中、ソロが始まるクダリはブレたなとは思ったけど、すぐ立て直した。
「俺が演出するなら・・」みたいなことのことごとく上をいったものだったと思う。
驚き、興奮したし、胸が詰まって嫌で嫌で大変だった。

さらに一番ぐっときたのは、終わり方。
なんとなく作品について話を聞いていたとき「どう終わらすのか」がずっと気になっていたけど、もうあの終わり方はもうぐうの音もでない。
やられた、と思ったし、そうなんだってなった。

最高だった。

ダンス作品としては、展開や演出に頼りすぎて説明過多のゲテモノにはなっただろうけど、
あれをコンテンポラリーダンスと言わずしてなんて言うのか。
現代的なセンスを兼ね備えていたからあれができたんだ。
俺たちに理解できる、というのも強い。
そんぐらい超コンテンポラリーだった。

半端な演劇的ダンスを評価する暇があるなら一生そうしてろと思う。これを押せ。
下手な舞踏や定石を踏襲した現代ダンスに人間は躍らない。
変態な身体を喜ぶ変態にしか需要のない作品は消えてほしい。
なんでもかんでも福岡に呼んでる暇があるなら、福岡の傑作をもっと押してほしい。

ただ、この作品はもう同じ鮮度ではできない一発限りのものだってことはわかってる。

だから尚更良かった。


いろいろと傷ついた結果にはなったのかもしれないけど、
この二人をサンピリに呼んで本当に良かったなって思った。
俺のオナニー作品が二人のセックス作品を生んだのだ。
生きてて良かった。

俺はこれを越える作品をつくらないといけない。まいっちゃうわ。



| - | 01:20 | comments(1) | trackbacks(0) |
劇団化学変化『カガク』
※公演が明日まである演目なので、観劇予定の方は見ないでください。

※よく劇団の照明操作をお願いしている藤井晴菜ちゃんの「劇団化学変化」の旗揚げ公演。
メンバーの入部ちゃんといい、他のメンバーといい、知人が多い劇団の観劇。
それを踏まえた上で、感想を書きます。


(O2)作・演出=入部亜佳子

会話の質感といい、間ややり取りを見るに、だいぶリアルな雰囲気のお芝居だった。
場所はカフェにあたるところなのだけど、まさにそのカフェを覗き見ているような感覚。
自然体の演技と息遣いの中、会話の内容も日常を切り取ったようで観られる。
こういうリアルなお芝居は大好きなので最後まで楽しめた。

ただ、日常に近づけた演出である分、違和感のある芝居が悪目立ちする。
序盤のやり取りはテンポが速すぎて、相手の話を聞くとか思考する猶予もなく会話が進むし、
キャラクターがあるにせよ、同じ話をしているように見れないチグハグさに違和感があった。
旗揚げだからということもあるけれど、やはり芝居を日常に寄せれば寄せるほどそういった細かい会話や仕草の穴をつぶしていかないと劇的な空間はすぐに消えてしまう。

また、日常を切り取った作品である分、何故このカフェでのやり取りを抜き出してきたのかという芯の部分がほしかった。
例えば、このままだと劇中の重要な会話以外を違う言葉に置き換えても成立すると思うし、
別にカフェでなくても、登場人物が2人だけでもよかったとさえ思う。
他愛もない会話は不可欠だとは思うけど、もっと観客を引き付ける要素があってもいいなと感じた。
そこらへんのカフェに入って、ああいった会話をしている人たちを観察するのと、ここで上演したものがどう違うのか、もっと会話や演出で主張していい気がする。
それで初めて(O2)という演目が作品として成立するんじゃないだろうか。

(二人の違い)作・演出=内野利典

星新一を髣髴とさせるSFで、展開も面白かった。
ただ、緒方ちゃんが演じるマユがオリジナルを殺した、というエピソード以降はついていけなかった。展開させすぎか、要素が多く、言葉が足りない。

ワンシチュエーションの会話だけで世界観を説明しつつ劇中にお客さんを引き込ませるというのはどうしても限界があるし、その限界を成立させるためには脚本の技術が不可欠だ。
クローンが本人に似てないとか、実はマユ本人がクローンだったという設定が出てきたときには心は躍ったのだけれど、やっぱりこの作品も作者の「一体どこを一番見せたいか」がお客さんの「見たい」とずれている気がしていてもったいない。

SFってのは、あえて説明しなかったりすることで面白みが出るのだと僕は思うんだけどな。
設定を全部回収して綺麗にまとめようとしているところが丁寧すぎて没入できないというか、丁寧に仕上げた分、脚本の技術のなさが露呈した形になったというか。

俺が書き手なら、自殺代替なんとかっていうのは捨てて、「人間は遺伝子操作の技術を手に入れた結果、完璧な人間を追求するようになった」という軸でいくと思う。
人間を管理している組織があって、不具合を起こした人間や不要な人間をどんどん遺伝子操作した人間に代えていくのだ。

まぁ、俺が考えたところでそれが正解なわけないんだけど、SFなのに不条理で落とさないまとめ方が逆に新鮮だったかもしれない。あまり好きじゃないけど。


役者は緒方さんが良かった。好きだ。
ベイリーは声がとにかくもったいない。
岩崎くんは演技が上手い分、守りに入りすぎてもったいない。
はるなちゃんはなんか観ていて照れた。
内野くんは自信がない感じがして不要な挙動が多すぎる。

また、二本連続上演な上に共通で出演する役者もいて混乱した。
関連付けや、転換の工夫があるべきだと思う。

がんばってほしい!
| - | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
wetblanket「藤の花」
 wet観た。面白かった。成長してて安心した。

正直、苦手意識があって劇場への足取りも大変重かったのだけど杞憂に終わった。
梟の城以来だから、実に3年ぶり。そりゃ成長もするわね。
魅せ方がいろいろとレベルアップしていて、クオリティが高くなっていたと思う。
なんかうれしかった。

まず、なんといっても熱量とテンポ感。
役者のパワーに統率のとれた呼吸で物語にグイグイと引っ張っていく。
ぽんなのに、ぽんじゃないみたいな臨場感。
序盤で既に何度か早着替えがあって、それがなんかうまく言えないけど良かった。
お客さんとして観に来てるんだけど、「ああ、俺も休んじゃおれんな」ってなる感じ。
展開も速く、転換の見せ方もいい。それを実現できるスピード感もあり、熱気を殺さない。
最後まで飽きることなく楽しめたと思う。

脚本のプロット、無駄が無い流れでいい。
シンプルで芝居の勢いにもマッチしている。最短距離の全力疾走。軽快で濃厚。
登場人物とそのキャスティングも良かった気がする。
胸が熱くなるシーンや展開が多かった。

本当にあっという間。
WETのやりたかったこと、存分にできている印象だった。



苦言を呈するなら、オリジナリティがない。

3年前も多分、同じことを思ったと思うけど、やっぱそこが大事だと思うから。
新感線で観たことのある演出やシナリオがチラチラ。効果音などのスタッフワークにも。
別にいいならいいんだけど、コピーバンドのライブを見え終えた心境でどうもむなしい。
WET流がないわけじゃないと思うんだけど、まだひとつ抜け出せていないと思う。正直。

新感線のいいとこ取りしても全然問題ないとはそりゃ確かに思うけど、
まだ噛み砕けていないというか、逆に新感線イズムに喰われているようで可愛そうだ。
今組み立てている演出の定石を見つめ直すか、方針を変えず力技でモノにするかだけど、
やっぱり「カッコイイ=新感線みたいな芝居」じゃなくて、何か否定するところからつくってみるべきなんじゃないか。
今のままだとあまりに淡白過ぎやしないだろうか。

福岡も幾つか時代劇やってるところあるけど、他の県はもっと多い。
果たして、そいつらに勝てるのか。そいつらに見せ付けたとき、度肝を抜かせられるのか。


あと、やっぱり演技が気になった。
舞台の立ち方は全体的に見られるようになっており、実に堂々としていて安心はするものの、
やはり役者同士のやりとりが希薄すぎてもう一つノれない。
舞台の向こうにどう移っているか意識した分、同じ舞台にいる人間同士が繋がっていない。
人を感動させたいのなら、もっとやりとりを見せたほうがいいと思う。
このままいったら、カッコイイだけになっちゃうと思う。

(特に、僕が観た回の大串くんの演技は完全に浮いていてくさ過ぎて見ていられなかった。何で最後の彼の演技に対して誰も何も言わないのか疑問でならない。それまで芝居が積み重ねてきた空気を台無しにするものだったと思う。あかん。引いた。)

だから脚本も、もっと人間やドラマを描く腕を上げるべきだ。
それっぽいシーンでなくて、やっぱり言葉で人を掴まないと。
具体的に言えば、メインとなるカブトのラインと長政のラインが弱すぎた。
カブトの回想が序盤の序盤にあった分、重要なシナリオが単なる設定になってしまって、
「武士が嫌いな(呪っている)村人」という設定があまりにチープで感情移入できない。
大串くんにあそこまで熱演させるなら、脚本がフォローしてあげないと。
また、長政が何故あんなにも村人に優しいか、みたいなのも特に描写されず仕舞い。
単なるキャラクターとして片付けられてしまって平べったい。とにかく。

まぁ、そんなん言い出したら「村人が反旗を翻す発端が一人の村人の死」だったり、それを辞めるのが「村人(カブト)の死」だったりするところとかぶっとび過ぎてるけど、
結局、カッコ良さを追求するエンタメ芝居にどこまでそんなドラマや描写を要求すべきなのかはわからない。
それは劇団や演出、その公演でやりたいことによると思うから、捨てられるところはガンガン捨てていくべきだとも思う。

いろいろ描いたけど、それは楽しかった分、いろいろと気になっただけで、
このままWETがしたいことを追求していくならそれでもいいと思う。
3年でここまで変わるなら、もう3年でもっといい芝居してくれると思うし。

後藤又兵衛と母里太兵衛友信がよかった。いいわあ、熱いの。





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