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その愛想笑いやめろサンピリ演出の元一のブログです。
適当に書いています。 2015.03.23 Monday
サンピリサリン「サリン」WEBパンフ 企画編
いつものように振り替える
【発端】 昨年、2014年、演劇をまたやってみようかとコンクールに応募するも、落選続き。 活動履歴と活動規模など、何かプレゼンできる要因がないとだめらしい。 どうしてもサンピリの企画で一つ公演を打つ必要があった。 ちょうどその頃、サンピリの忘年会があり、過去のメンバーが集う。 再出発で新しいことを1からやるのではなく、みんなに相談してもいいかなと思って相談してみると、やるならやろうかという話になった。 【企画経緯】 2011年に行った「光」からこがまりやと、うし(ダブルクラブ)、「音がなる空洞に」で一緒にやったうちむらひとみ、そして「変身」を観劇して声を掛けてくれたテシマケント(WETBLANKET)、人数のバランスを考えて自分も出演することを相方と相談して一日で決まる。 会場はFUCABASEにした。 一人芝居で会場を利用したときに雰囲気に何か惹かれるものがあったということと、 百瀬さん(M.M.S.T)に色々とアドバイスを頂けるのではないかということ、 そしてアートスペースとして運営されているため、単に演劇をやるという企画にはしたくないという欲求と合致した。 舞台美術の濱田海くんに関しては、もともといいなと思っていたこともあって誘う。 彼は今まで展示会の経験はないとのことだったが、FUCAでやるにあたっていっそ彼の初作品展をプロデュースする試みをメインに踏み込むことにした。 演劇のクレジットに名前だけ入れるのではなく、作品展のパフォーマンスとしてがっつり演劇をを上演するというもの。 音楽は、ボギーさん。ファンだったことや交流があったことはもちろん、暗い芝居をやるために、明るい音楽がどうしても必要だった。 また、脚本は以前共作した吉田六助くん(ゆるふ酒)ともう一回やることに。 脚本を創作する上でどうしてもぶつかり合える脚本家、正反対のものを描く人間がほしかった。 タイトルの「サリン」は早いうちから決まっていた。 当初は、単に響きがいいというだけの理由だった。 【脚本共作】 「サリン」というタイトルから、当初は怖い、毒々しい、グロテスクな短編集を上演する予定だった。吉田六助くんにもそういったオーダーを出す。 しかし、様々なアイディアが飛び出す中でどういった怖い話に絞るか選択していくと、より具体的な、現実の話にどうしてもしたくなった。タイトルから連想される事件はもちろん、自分が日々のニュースに心を痛めていたこともある。また、今の僕の演出が不条理よりも現実的な、テーマ性のあるシンプルなものに合うという結論に至ったからだった。 その後は、 短編の登場人物が全員何かしらの犯罪に手を染めていて、けれど「虐待をしている女性が、テロを非難している」「テロを行っている人間が、虐待を非難している」という他人の犯罪や悪事には口を出すお芝居を提案。しかし、扱う要素が多すぎて、それこそ肌触りのない不明瞭なものになる可能性があり断念。 結局、吉田くんと具体的な共作を進めるにあたっての指針としては、「海くんの作品展を開催することと、会場の雰囲気を殺さないことを両立させる舞台設定」、すなわち「画家がいる、地下のアトリエ」ということになった。「主人公の画家がテロを実行する」、という内容だ。 「地下のアトリエ」に設定すれば、もちろんタイトルは「サリン」であり、地下鉄サリン事件が思い浮かぶ。そこで、この事件をモチーフにして「地下鉄サリン事件が今の時期に、福岡で起きたら」というストーリーを基盤に話を進めようとする。 しかし、吉田くんから地下鉄サリン事件を描くには創作期間が短すぎると指摘され、方向性が二つに割れた。「サリン」からイメージされることを抽象するか、具体的に切り込んでいくかのどちらか。本当はフェアに共作していきたかったが、こちらが企画・演出で現場にいるという立場から、具体的なものを描く方針を選択した。 「地下鉄サリン事件」をモチーフに「福岡でテロを起こす画家」を描くという試みは、正直言って無茶苦茶で、例えば、そもそも何故福岡で事件を起こす必要があるのか、サリンはどこで製造するのか、巨大な宗教があるという実感のない設定でどこまで描けるのか、すべて欠陥だらけだった。 第一、吉田くんの言う通り、地下鉄サリン事件を扱うには時間が少な過ぎるし、有名な「A」や「アンダーグラウンド」など手に取っても、事実の破壊力に圧倒されるばかりで、わざわざ演劇にする必要がない。 何より、情報を得ても実感がない。小学生の頃、なんとなくそういうことで世間が湧き立っていて20年も過ぎている。しかも、東京の話で、馴染みの無い宗教が関連し、わけのわからない洗脳・マインドコントロールがあり、体験したこともないテロの脅威もある。また、そもそも松本智津夫はすべてを語っておらず、村井秀夫の死もモヤモヤとしている。「地下鉄サリン事件自体が明らかになっていない部分が多すぎる」。完全な手詰まり。 至った結論は、未熟な選択だ。実感のある実体験を主軸に、その、「わからない」を描く。 何故、殺人事件が起こるのか、僕にはわからない。 わからないが、序盤に自分の境遇や体験を配置し、最終的に殺人事件を起こす結末を描き、では、どうやってそこまでいくのかという中盤をメインにブラッシュアップしていくことにした。 もちろん、稽古は進んでいるため、役者の状態や能力の情報も逐一入っていく。 稽古場の反応を見ながら結局本番まで15稿程度脚本を壊した。 本当に脚本は難しい。違和感を潰していけば、どんどん違和感が出てくる。 しかし、たどり着いたと思った。
2015.03.23 Monday
サンピリサリン「サリン」書いたこと
1995年3月20日午前8時頃、地下鉄サリン事件が起こりました。 明日から僕が演出する舞台「サリン」はこの事件を描いたものではありませんが、創作の手掛かりや問題意識の根幹を成す要素になっています。 ただ、その関係で気紛れに物思いに耽って投稿しただけであって、 でも、まぁ、それでいいんだと思います。 ネットであれこれ拡散しているような肌触りのない感動の共有ごっこや、 大事なことは、いざ、自分の周りの家族や親しい友人、知人が加害者や被害者になりそうなとき、なってしまったとき、ちゃんと力になれるのか、ちゃんと指摘してあげられるのかなんだと思います。 ・・・・・・・・・・ ニュースにもなっているけど、来る3/20はちょうど地下鉄サリン事件が起こって20年になります。思えば、物心ついて初めてヤバいことになってる!と騒いだ事件だった気もします。既に福岡にいて、幸いな事に身内で被害者が出なかったこともあったからドキドキしてたんだろうけど。 何故、そんな、20年も前の、自分とは一切関わりのない(=当事者に会ったことさえないという意味で)ものをわざわざ持ってきたのかと立ち返ってみれば、その、一切関わりのないものを描きたいと思ったからという一点です。 今日もテレビやネット、SNSで自分とは一切関わりのない情報を仕入れて、みんな各々物事を想像して適当に発言する1日が始まります。 でも、身内でも当事者でもない人間が必要以上に騒ぎ立てている様子は見ていて余り気持ちのいいものじゃありません。 その人たちを否定するつもりはありません。感受性や経験はそれぞれです。僕だって、東北の震災なんて一切関わりのない人間なのに、あの震災の映像を見て震えが止まりませんでした。とにかく落ち着かない!無駄だとわかっていても不安になってしまう。 だからって「サリン」という作品が『地下鉄サリン事件と、一切関わりのない僕との不可思議な関係』なんかを描くわけではありませんが、拙い想像力で世の中の事件というものに触れようともがいた結果ではあります。 本当は地下鉄サリン事件をモチーフにしたると意気込んでいたのですが、調べれば調べるほど本当に得体の知れない事件で恐ろしくなりました。
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