その愛想笑いやめろ

サンピリ演出の元一のブログです。
適当に書いています。
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演劇ユニット そめごころ 「201Xの記憶」
ご招待頂いたので観させてもらった、初めそめごころ。それにあやかっていつも通り思ったことをそのまま記そうと思う。

立派な広報や企画はもちろん、舞台に衣装に大枠だけは立派だったものの、中身伴わず、今は未だハリボテのお芝居といった感じだろうか。期待していた分、勿体無いなと思った。

モチーフはいわゆる「佐世保女子高生殺害事件」。
何故、佐世保の事件を選んだのか、佐世保の事件のどんな側面が作家に筆を取らせ、作品を立ち上がらせるまでに至ったのか、その本質が伝わってこない。
色々と気になるところは多いけど、一事が万事、とにかくその中身に対しての議論が作家や出演者の中でどの程度なされていたのかが重要だ。
本人を前に上演できんのか、これ。という気持ち。
数ヶ月かけて練った妄想の中に、事件や事実に対して抱いた気持ちや確信が果たして残っているんだろうか。

そして何故記憶を鍵として構成していたのかも今一つよくわからない。
事件を捻じ曲げて記憶しているのは社会ではなくて作品の方なんじゃないのだろうかと言いたくなる。
佐世保の事件といえば、「事前に医師の診断結果があったのにも関わらず事件が発生してしまった」ことや「事件前に度々目に付いていた、分解をはじめとする容疑者の奇行」「事件後の父親の自殺」が目に着く。父親が金払って一人暮らしさせていたとか?
それらをあえて素材として選択しなかったとしても、彼女を取り巻く学校生活や人間関係の描写は余りに典型的で偏向。
作品の中で笑う演出が数回あったけれど、自分で自分を笑っている構図になっていたんじゃないだろうか。

その芯さえあったらな、と思う。物語がなかなか動かなくとも、台詞回しがちょっとわかりにくくとも、その情熱の片鱗さえ見えたらなと。
それが、チラシにどでかく印刷されてた「演劇」ってものに通じると俺は思うけどね。

演出にもキレがない。
技術というか、引き算が出来ていないと思う。
俺が演出なら、兎にも角にもまずキャストを5人にしてカーテンと机と椅子を撤去するね。とにかく邪魔なものが舞台上に多かった。狭い。身動きが取れない。

俳優を多く投入するのはアンサンブルでの演出効果を狙っていると思うのだけど、例えば、それに舞台の広さが追いついていなかったら即座に舞台上の役者を減らす決断をするべきだと僕は思う。もしくは舞台を思い切って広げる。

また、メインの俳優に対して相対的に周りのアンサンブルの存在感の方が強くなっていたのも良くない。「人間がそこにいるだけで起こる主張」「存在感」って案外バカにできない。シーンごとに説明したいぐらいだけれど、エキストラやストップモーションがないだけでスッキリ見られたシーンは多かったと思う。主演は役をスイッチしないし、せめて衣装でハッキリさせてあげても良かったのでは。もしくは、役者を減らす。

本当に役者は多かった。役者一人一人が、装置やカーテン、舞台の狭さ、段取り、に追われて十分なパフォーマンスができてなかった印象を受けた。あんだけの量出すなら逆にもっとたくさんできることあったのに。勿体無い!

それでも舞台でなんとか生きてたのは、田島宏人くんぐらいじゃないだろうか。彼だけは役者に見えた。あとは何か小手先というか、ぶりっ子というか、舞台に上がっているだけの人だった。大学演劇って感じがした。大人しかった。

サンピリに出演したことのある瑞穂については、もっとできるのにという気持ち。権ちゃんについては、台詞中にアンサンブルにざわつかれてうまみのないまま終わった感じだろうか。いや、せめて力押しでもいいからキワモノの存在感を出して欲しかったな。まるで印象に残っていない。

他にもたくさんあるけど、
怒られるのでこのくらいで。

…少し書いてみたけど、
「やりたいことがあるのにうまくいっていない」というだけであって、そこら辺がうまくいけばいくらでも化ける団体だとは思う。

でも、例えば、
同じように野田秀樹に憧れてできた団体で、舞台装置を中島信和さんにお願いして照明プランを荒巻さんにお願いしている同年代の団体がいたとして、そいつらに勝てるんだろうか、とか考えて欲しい。もっと詰められる。脚本も演出も、俳優の身体性も。

あと、今回この作品を褒めた人はこの団体をダメにする人だと断言したい。
身内ノリやうわべに騙されず、どんどんいい作品をつくって欲しいと思います!

応援してます!
| - | 02:50 | comments(6) | trackbacks(0) |
未来に届いていくもの
捨てられない性格である。

勝手に捨てられたり、自分で断舎利だと言い聞かせて強引に掃除しない限りは
服も、パンツも、本にCD、家電も、ゴミ袋でさえも、なかなか捨てられない。
いや、さすがにボロボロで臭くなったり動かなくなったら捨てるかもしれないけど、
「もったいない」というよりは、自分だった一部と別れてしまう感覚がして許せない。

先日、実家に置いていたものを取りにいった流れで、
その捨てられないものたちをいくつか部屋に持って帰ってきた。

手紙も、何枚か。

おかしかったのは、
僕は手紙を読んだ後、入れてあった封筒に直さず別々にしまうクセがあったらしいということ。
手紙によっては「DEAR」が入っていても「BY」がなかったりして誰からのものなのかわからない。 
でも、それを推測しながら読み返すのも、なかなか面白かった。

ちょうど8、9年前。大学時代初期。
大事だけど、もうつらすぎて読めないんじゃないかと仕舞っていた手紙は案外サクサク読めた。
当時だと、便箋に刻まれた相手の字を直接受け取るだけだけれども、
今読めば、その頃の相手のことだけじゃなくて自分のことも想像しながら俯瞰できる。

そういえば、この人と文通してたなぁ!とか。
またこの人と文通できたら面白いだろうなって思ったり、
いろんな理由で、もう同じようには文通できないだろうな。だとか。
とてもいい時間を過ごせた。

観客と作品の登場人物に年齢差があったとき、こんな風に感じているのかもな。


印象的だったのは、
サンピリの一番最初の芝居に参加したメンバーからの激励の手紙だった。
「大学生活がんばってね」という内容だったんだけど、
「芝居終わって、最近スカートはき始めたよ!もっと女の子になるね」だとか、
出番少なかったのに「凄く緊張して頭真っ白になったけど、楽しかった!」だとか。
これって、物凄く俺のやりたかったことの原点に近い。
サンピリの一番最初で、一番やりたいことができていたってのはとても誇れることだ。

あとは、結局出せなかったラブレターだとか、登場人物のモデルになった人からの手紙だとか、地味に自分の証明写真がおもしろかったとかそういうの。


手紙の、あの、「本人にしか伝わらない」「嘘の無い」「強い説得力」の質感は好きだ。
そういう芯のある作品をつくることができたらいいのにな。
| - | 18:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
観に来てほしいしかいえない演劇人
 横やんが作・演出をしている「私を女優にしてください」の照明を担当することになって、稽古場に通う。ああ、やっぱり、凄い。サンピリがつくる作品よりも物凄いものができそうな予感がする。うわあ、これ、わかる人には絶対観てほしいわぁってため息が出る。

でも、そんな熱量を持った芝居が生まれようとする中で、絶えず壁越しに他の団体の歌や発声、音楽や息遣いが伝わってくる。青年センターはもちろん、福岡のどこかで、何かが生まれようとしている。具体的な想像が追いつかないけれど、それは福岡に限ったことじゃない。

みんな、懸命に、楽しく、苦しみながら、汗を流して稽古して、
そりゃ、みんな観に来てほしいよなぁ、普通に。

うちは、不定期だし、メンバー変わるからアナウンスできるお客さんも少ないし、
万人受けもしないってわかってるから、そんな広報に取り組んでもって思うし、
折込んでも来ないだろって思うし、マイペースでいいのさって気分でいきたいし、
っていうか、いい作品の予感がしてからじゃないと絶対宣伝したくないし、
そっちの努力するぐらいなら作品に没頭したいって思うけど、
それでもやっぱり誰かに観に来てほしくてメールしちゃうしSNSとかに書き込んじゃう。

けれど、「演劇観て」って簡単にいっちゃうけど、
一般の人からしたら「この商品買って」っていう印象になっちゃうっていつも思うのです。

抵抗ないですか、その辺。

もちろん、企画や団体によってはそういう感覚で作品をつくるのも大事だけれど、
個人が「この商品いいよ、絶対買ったほうがいい!!」っていう行為、結構特殊だと思う。
かといって、演劇は稽古場も劇場も押さえなきゃだし、作品で購入するもの、チラシ、場合によってはギャラが発生するから、富豪や身を削って低予算を目指さない限り「お金を取らない」という選択肢が出てこない。

作品を観てもらいたいって一心なのに、周囲からするとそればっかだなってなる温度差。
金目当てじゃないけど、お金もらわないとマジで公演すら打てないっていうジレンマ。

まぁ、そういう細かいこと気にしない、気にならない人には関係ない話だし、
そういうところでつまづいているのなら、お芝居なんてやめちまえって話でもある。
お客さんがいないと「演劇」に絶対にならないという性格上、どちらかというとそういったことも含めてどう戦略的に話題をつくって公演を制作していくか、って部分が演劇を作品たらしめるには重要だ。

人は呼ばないといけない。
演出意図が発生しない限り、絶対に多いに越したことはない。
チケット収入があることで、もっと充実した作品や企画も練ることができる。


なんか、
うまくいかなかったときにみんながちゃんと「今回はつまんないです・・・」って言えたらいいんだけどなぁ。そしたら、「今回は絶対面白いです!」に説得力が出るというか。
でも、関わった以上は面白い作品を絶対つくるべきだし、
例えば劇団で公演ごとにクオリティが極端に変動することって少ないと思う。
自ずといつも「いい感じ」になっちゃう。


あー、「私を女優にしてください」を観に来てほしいや。
サンピリ一生観にこなくてもいいから、観に来てほしい。
サンピリ好きな人はまた観てもいいから、観に行ってほしい。



結局、ボジョレーヌーボーみたいに毎年出来栄えの表現が変わるだけの僕たち。
宿命。
開き直って、気の利いた広報努力に変換する他無い。

| - | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |

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