その愛想笑いやめろ

サンピリ演出の元一のブログです。
適当に書いています。
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福岡学生演劇祭 Aブロック
ogt企画

緒方くんの脚本は以前読んだことがあって、立ち上がるとやっぱりこうなるんだな。ブラックで素敵だなと思った。

演出も脚本に沿ってて良かった気がする。世界感がちゃんと成立していた。

個人的には脚本や演技がシンプルであった分、衣装や舞台美術で他を圧倒しても良かったのではというところ。
皮肉ってのは鮮やかでエンターテイメントである程逆に効くものだから尚更ね。
……………

コクピット

ストレートな芝居の分、芝居のクサイところがやけに気になる出来だった。劇的な要素は思い切って脚本に預けて、感情的な演技をもっと押し殺した方がいい。演技の嘘くささが足を引っ張っている。

父親の演技が特に気になる。
おばあちゃんの演技をしろと言われたら背骨を曲げて入れ歯をはめたような喋り方をする、みたいな。
そんなことじゃないなら、もっとこだわった方がいい。
履歴書を書けとは言わないけど、じゃあ父親を演じる上で何処まで踏み込んでいるんだろうか。やるからにはやれるだけやってほしいなと思う。
母親についてもそうだ。もっと年齢に拘るなら話し方ではなくて人間性そのものの研究をした方がいいと思う。現代なのか一昔前なのか混乱してしまう。

他の登場人物も、感情だけは脚本の想定以上に溢れる癖に脚本外の描かれなかったドラマを想像し得る人間性や関係性を表すに至っていない。
脚本に描かれてないことをやれなんて無茶苦茶ではあるけど、主人公の死後からスタートするのに主人公の生前がキーワードになっているというシステム上、もう演劇の力で見せていない部分を見せるより他ない。見えてくる、のがベストだ。

舞台だけど、あんなに縁側を堂々と立てるからには家がどんなところにあって庭はどういったところなのか具体的な部分が決まってないとダメだと思う。何の木がどこに埋まっていて、セミはそのとき見えるのか快晴なのか、湿気はどうなのか。障子がない分、風通しはいいのかもしれない。あそこに父親が座るとしたらよく日陰になっているところなのかもしれないだとか。

あと、場面転換の俳優のデハケに注意が向けられていないのもとても気になった。処理がよくない。だらだらだらだら。

良くも悪くもビー玉の扱いは正直よくわからない。何故ビー玉なのか。???

ただ、重しや器などを工夫して木箱の重量感を高めないとバレちゃうとは思う。

それと、ビー玉を投げようとする直前、母親が去ろうとするときに父親が「みんな前に進んでいくなぁ」みたいなセリフを言うけれど、これはマジでカットした方がいいと思う。説明し過ぎでもったいない。

あと、その後に2人で泣くのも音楽も過剰だったと俺は思う。そこに使う時間をそれに至るまでの時間に使うべきだ。
……………
熊本学生演劇連盟

脚本も演出も俳優もレベルが高い意欲作だった。とても素晴らしいし、かっこいい。好き。10点!
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みかんプロジェクト

脚本も演出も俳優もレベルが高い意欲作だった。とても素晴らしいし、かっこいい。好き。10点!
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久留米附設、熊本学生演劇連盟、みかんプロジェクトとそれ以外の違いは何かといえば、その演劇の何が楽しいのか脚本、演出だけでなく俳優にまでそれがしっかりと共有されてモノになっているかいないかというところだと思う。

こればっかりは集まったメンバーにもよるとは思うけど、やはりそのチームワークを伴った理解があるかないかで決まる気がする。

演劇祭実行委員の皆さんお疲れ様でしたー。





| - | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
福岡学生演劇祭 Bブロック
いつも通り勝手に感想を書きます。

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アートユニット豆小僧◎

やりたい作品のイメージがちゃんとあるのはいいことだと思う。

でも、本来1時間以上しそうな作品を20分に詰め込んだ印象が強くて物語に入る隙はなかった。会話の速さもそうだけど、照明のカットチェンジさえも巻きでいき過ぎなんじゃなかろうか。足並みが揃ってない。
現実と夢といった空間そのものを取り上げた作品なら、まずそこに一番気を付けるべきでなかったか。

空間でいえば、のっけから主人公の顔が一切把握出来ずに物語が進行してしまうことも良くなかったと思う。
前を向けとは言わないけれど、勝手に一人で夢と現実の境で混乱する人間を見て僕は少しも面白いと思えない。その人間を混乱させる空間が存在するなら楽しめるかな、と思うぐらいだ。

意図的なのか、暗転中に積み木が崩れる音に興味があった。
主人公が部屋の中心でひたすら積み木をしている、仕送りで積み木が送られてくる、ってのはやり過ぎかもしれないけど、何か言葉だけに頼るんじゃなくて言葉から発想して辿り着ける肌触りにも到達して欲しい。
……………

演ためユニットYb(イッテルビウム)

かわいそうだけど、こういった芝居って一番難しいと思う。ただでさえ感情移入しにくい無機質な世界感にロボなんかが出ちゃって「ああ、そういう感じかぁ」と腰を落ち着けてしまった後は、もちろん特に何の裏切りもなく最後まで執拗な演出が続いてしまう…

例えば最初の二人の出会いの会話に色が付いていて温かみがあるだけでも違ったと思うんだ。

多分、グレー(フォールアウト)を提示するためにはその前を白黒のイメージで行きたかったんだろうけど、どちらかと言えば白黒(イエス・ノー)を選ぶようになった人間の方が興味があったかなぁ。

どちらにしろ、説教臭くてどうも息が詰まった。これではグレーの人が一人で弁論でもやった方がよっぽどグッとくるんじゃないだろうか。

あと、あのカーペットはよくない。エリアを覆っていたなら迫力あったのに、演技エリアが狭まった上にシンメトリーでない俳優の配置さえもバレて興醒めだった。
……………

パッチワーク

とにかく主人公の女の子の言い回しが気に入らない。例えるなら、ずっと鍵盤で「ド」の音を叩かれているような気分だ。設定はともかく、あんなに長く喋らせる必要はあったんだろうか。美人で、脚本もいいかもしれないけど、流石に耳栓したくなったほど。

豆小僧もYbもここもそうなんだけど、とにかく俳優が演技にどっぷりと浸かっていい気持ちになりだしたら疑った方がいいと思う。
「俳優」は「俳優」を演じちゃいけない。これは割とマジな話だ。

途中入ってきた音楽家に、この日初めて人間を見た気がした。
みんな無感動になったり熱演するの大好きだからね。人間じゃないものを演じたい欲があるんだろうな。

うーん、やっぱり主人公に長く話させるよりも、妹や周りの人間とのやり取りをもう少し見たかった。
広がりがない。なんか。
………………

久留米附設演劇部

Bブロックの中ではダントツで面白かった。やっぱり芝居に演技力なんか必要ないんだよなぁ。

呼吸や集団戦など見せ方一つ一つのこだわりに練習や熱意のアトを垣間見ることができる。

ただ、これは大人が喜ぶ高校生の劇であって決してリアルではないんだよな、とは思ってしまった。
| - | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
夏の雪崩
色んなことが一気に決まって花火のように炸裂する。わっ、という間にすぐ消えて、ほらもう次が打ち上がってるぞ。

きっと人生でいえばあったかもしれない、ゴミ箱へと向かう思考たちをこの際一つ一つ開いて確認してみたいと思う。僕の足りない足取りじゃ、ちょっと間に合いそうもないもんで。

⚪︎セブン

ブルーハーツの楽曲もそうだったりするけど、セブンイレブンで流れるデイドリームビリーバーを聞いてるとなんだかなって思う。とてもじゃないけど受け入れられる話じゃない。

でも、そういうものなのかもね。舞台で深い演技をするあの役者さんもテレビの再現Vに出るとたいそううれしそうで、CMの出演歴を掲げてたくましく生きている。

何を傷つく必要があるんだろうか。
AKBばっかが流れててもどうせムカつくんだろうが。

⚪︎お金

以前、誰かの心理テストで、「金なんかクソ喰らえだ!」って人間こそ実は物凄くお金に執着しているものだと知った。こういうの好きだから当たっているようでどうも悔しい。

割と落ち込んでいるとき、割とお金が無いときだったりするもんね。

悔しい悔しい。

欲しいものなんて無いし、お金なんか欲しくないのに何でこんなに消えてゆく、金。

そしてお金のことは本当に恥ずかしくて人に話すことが出来ないものだとつくづく。宗教や政治の話題よりも、たくさんの縁を切ってきたけものだ。

⚪︎断捨離

引っ越しの作業で、やっぱり沢山の物を処分することにした。

でも、八百万の神とは言わないけれど、やはり品々を袋に詰め込む度にコメカミとムネが締め付けられる。

一品一品を殺していく感じだ。

そこには沢山の言葉や人の顔、息遣いや景色が刻まれてあって悲しい顔をしてこっちを見つめているのに、私はごめんよとも零さず黙々と彼らに向けて引き金を引いていくんだ。

物を殺していくのにこんなに躊躇していて暗い気分になるんだ。人なんてとても殺せない。

それでも、まだ台本とアンケートは生き長らえている。これこそが俺の真の財産だとせずに他に何があるっていうんだろう。
それとも、もういつまでもこんな甘酸っぱいものを抱き抱えていちゃ新しい恋なんて出来ないのかな。
そういや、最近頻繁に色んな作品を再演したいと思うようになった。モラトリアムの渦から抜け出せていないのかもね。

しかし断捨離ってなんだよ。
殺人鬼どもが。

⚪︎オリザ

平田オリザの寂しさの記事を読んだ。

わからなくもないけれど、ではこの記事から湧き出てくる寂しさは一体なんなんだろうかと思う。
仕方のないことだけれど、マクロな視点に立って論じると何故こうも人は人間に冷たくなってしまうんだろう。

最近気付いたのだけれど、都会の人混みで恐怖を感じるときって人を人と見ていないときだと思った。
平気なときって、いつも通り色んな人の顔を一人ずつ認識しているときだ。

そして「寂しさ」って言葉も大概だと思った。汎用性が非常に高い。劇薬みたいな言葉だ。人に強く作用する。
状態を示していて、佇まいを想起させ、経験を簡単に引き出して情感を揺さぶってくる。さらに、この言葉には寂しさを感じている人間がいることも忘れちゃならない。必ずしも実態なんかじゃない。

魔法にかけられちゃならない。
人をまとめようとする言葉に正義はない。

とはいえ、今もこの文章で物事を括ろうとしているのが何ともね。

⚪︎特別

僕は人と一緒にいるひと時はいつもおしなべて「特別」であるべきだと思っている。その人といると嬉しくて楽しくてずっと続けばいいなと思えてまた会いたいと思うような。

だから、色んな理由でその人と会うことが「特別」でなくなったら距離を取ろうとしてしまう。

恋愛のことみたいだけど、あらゆる人間関係がそうだ。

親に飽き飽きして外に飛び出し、友人にうんざりして連絡を取らず、恋人の前で笑えなくなって一人なって、職場の冷たさに辞めちまいたくなる。劇団を去った理由の一つにこれもあるかもしれない。

人と会うときはいつだって「特別」でいたい。じゃないと相手に失礼だし、人といるときに「つまんねぇ」って顔をしたくない。その愛想笑い、やめろと思ってしまう。

きっとこれは、俺自身が常に人から「特別」な存在(ヴェルタースオリジナル状態)として認識されたいからだと思う。
もしくは、俺以外の人間が常時他者に対して極めて社交的に、意欲的に接しているのを盗み見て自分もそんな人間でありたいと願ってしまっているからかもしれない。

いずれにしても、だからこそ普段一人でいる「つまらない」ときを大切にしているんだと思った。孤独を愛しているのではなくて、社交を愛しているから孤独に身を投じたくなるというか、幸せ感じたいから不幸になりたいみたいなものなんだと思う。

ああ、ヘンテコなバランス。

でも、友人と何が「特別」なのかという話していて、僕の頭には何故かそれが浮かんできたんだ。
お金とか旅とか権力や能力、ハイテクな家電や車も家も家庭も子どももよくわからない。

ただ、当たり前の日常が一番の幸せであるべきだ。

テレビとかなんとかの劇的な展開や定石を踏んだものの何を感動したらいいんでしょう。嘘でしょう、あんなの。言葉が普通の会話じゃないじゃない。人間の皮被った人形劇だ。

だから、日常を淡々と描く作品をつくり、その日常を脅かす事件を取り扱うのかもしれないなと思った。
それが「特別」だよ、俺にとっては。

⚪︎嫌いな演劇

人間ってこうだよね、ってわかったふりしてやがる劇。そういう演技を叩きつけてくる思考の停止した劇。









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